終戦80年記念日
と、言われても…
終戦時、僅か2歳と2ヶ月
記憶はありません。
ただ…
・戦車の通る音、大音響でガラガラガラと…🔊
・馬に乗った兵隊が家の前を通る馬の蹄の音
音の記憶が少しあります。
幸い焼かれなかった我が家は、環状六号線に沿っていました。
そして、記憶の中に
・防空壕に入れられること
多分、恐怖の記憶です。
2歳の記憶があるのは稀なことと言われたことがあります…
後はわからない…
そして、家には、兵役を終えて中国から帰国した父がいました。戦争の一番ひどい時期は、日本に帰ってきていた父、運が良かったとしか言いようがありませんね。
今、考えてみると防空壕なんて…父と兄(15歳上)で掘ったのかしら?
戦争の記憶を伝えて…
と言われても、私より上の方でないと無理でしょうね。
主人は、それはそれは辛い目に遭った人です。
「人には語ったことがない」といいながらも、ポツリポツリとたまに話してくれました。テレビに出ても、一言も話しませんでした。
ここにも書けないくらい、あまりにも悲しい悲惨な話なのです。当に東京大空襲に遭遇してます。
私より10歳上でした。
姉と同じ歳、姉は
「本当に辛いことは人に話せないものよ」と、常々話してました。だから、疎開先の話はしたことがありません。
誰かに話すのを戸惑うほどなのです。戦争って…
だから気安く
「語り繋いでいく」なんて、
無理です。
聞いた私でさえ、話せないのですから😢
(Wishing for Peace)⇩
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